げんかんの 金魚たちが ゆらゆらゆらり
レースのような 尾びれは 夢にみたいに ゆらゆらり
ちいさな 自然は きょうも いきている
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たまたまとおりかかった 部屋でついていた テレビのニュースから
震源地に近い ちいきで
ほかの地域からも 魚たちをあつめ きょう水族館が 再オープンされた
と 聞こえてきた
たくさんの方が みえていた
想い想いに ガラスの向こうの しぜんと向き合う
そんななかの おひとりの おばあちゃまが お孫さんとみえていて
インタビューをうけていた そのことばが こころにとまった
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”こんかいの 震災で 家もすべてをながされ”
”しばらく しぜんとは顔をあわせたくなかったけれど”
”きょうここにきて ちいさな魚たちも けなげにいきている 姿をみて”
”あらためて なにかのために 生きていかなくてはと かんじました”
…と。
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被災地の範囲の中に はいっている地域に 今いるけれど
それでも 舞いちる桜のなかでの 友とのであいや
庭先のちいさな木の芽や 花から たくさんの勇気をいただいて
ここまできた とおもう。
けれど ほんとうに傷ついた人たちが もうすこししたところにいて
”しぜんとは 顔をあわせたくない” という
なんと なんと 深い かなしみだろう
あの時 震源でおきた ほんとうのできごとの一遍を その一言から
ほんのすこしだけれど 感じることが できたようにおもう
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もう 何年前 なのだろうか。。。
はじめての ヨーロッパ旅行は バックひとつ。
ときには ヒッチハイクで かけぬけた
たくさんの国を めぐって あこがれの国に 足をふみいれて
本場の味 や 本場の アンティークやバザール・蚤の市
美術館 や 建築に どきどきし
帰ってきても しばらく 回想 と かんげきは さめやらずでいた
それでも そんななかでも いちばん 深く 濃く 印象的だったのは
やっぱり ひと であった
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すべてを 連れ去ってしまった しぜん
目のまえの ちいさなしぜん
再生をきめた ひと
あしもとの やさしい しぜん
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ひとしきり 降る つよい 雨のきょう
たとえば 地球の 裏側の しらない だれかも 想い 祈れる
ひとで ありたいと つよくおもう
つめたい 水の中で こんやも
金魚たちは ゆらめいている