4.23.2011

::: ゆら ゆらり :::






げんかんの 金魚たちが ゆらゆらゆらり


レースのような 尾びれは 夢にみたいに ゆらゆらり



ちいさな 自然は きょうも いきている


・ ・ ・



たまたまとおりかかった 部屋でついていた テレビのニュースから


震源地に近い ちいきで 

ほかの地域からも 魚たちをあつめ きょう水族館が 再オープンされた

と 聞こえてきた




たくさんの方が みえていた


想い想いに ガラスの向こうの しぜんと向き合う



そんななかの おひとりの おばあちゃまが お孫さんとみえていて

インタビューをうけていた そのことばが こころにとまった


:::::



”こんかいの 震災で 家もすべてをながされ”

”しばらく しぜんとは顔をあわせたくなかったけれど”

”きょうここにきて ちいさな魚たちも けなげにいきている 姿をみて”

”あらためて なにかのために 生きていかなくてはと かんじました”


…と。


:::::



被災地の範囲の中に はいっている地域に 今いるけれど


それでも 舞いちる桜のなかでの 友とのであいや 

庭先のちいさな木の芽や 花から たくさんの勇気をいただいて

ここまできた とおもう。



けれど ほんとうに傷ついた人たちが もうすこししたところにいて


”しぜんとは 顔をあわせたくない” という


 


なんと なんと  深い かなしみだろう


あの時 震源でおきた ほんとうのできごとの一遍を その一言から

 ほんのすこしだけれど 感じることが できたようにおもう



: : :


もう 何年前 なのだろうか。。。

はじめての ヨーロッパ旅行は バックひとつ。

ときには ヒッチハイクで かけぬけた


たくさんの国を めぐって あこがれの国に 足をふみいれて

本場の味 や 本場の アンティークやバザール・蚤の市

美術館 や 建築に どきどきし


帰ってきても しばらく 回想 と かんげきは さめやらずでいた



それでも そんななかでも いちばん 深く 濃く 印象的だったのは



やっぱり  ひと  であった


: : :



すべてを 連れ去ってしまった しぜん

 目のまえの ちいさなしぜん



 再生をきめた ひと


 あしもとの やさしい しぜん



・ ・ ・


ひとしきり 降る つよい 雨のきょう



たとえば 地球の 裏側の しらない だれかも 想い 祈れる 


ひとで ありたいと つよくおもう





つめたい 水の中で こんやも

金魚たちは ゆらめいている